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18世紀ドイツ
- 当時のドイツ圏は、プロイセンとオーストリアの二大国を中心とし、領主が半自立支配を行う無数の領邦国家が集まった『神聖ローマ帝国』を形成していました。
- 啓蒙思想・産業革命・国家統一といった流れがヨーロッパで進んで行く中、分裂・争い・地方領主による搾取等が続いたドイツ圏は、近代化に大きく出遅れていました。
- そして18世紀後半、急速に普及に努めた啓蒙思想は極端な理性主義・合理主義で、信仰や感情といった生命エネルギー的なものを軽視するもので、それに反発した市民層は反啓蒙主義=シュトゥルム・ウント・ドラングを支持しました。
シュトゥルム・ウント・ドラング
フリードリヒ・フォン・シラー
Johann Christoph Friedrich von Schiller(1759年11月10日~1805年5月9日)
ゲーテと並びドイツを代表する作家で、ベートーヴェン交響曲第9番の歌詞、太宰治「走れメロス」の題材となった詩も創作しています。
有能ゆえに抑圧された少年期を過ごしたからか、自由を追い求める作風が特徴的です。
晩年、カント哲学に触れてからは、本能的な衝動と知性が融合した神聖な精神世界を描くようになります。
ゲーテは親友シラーの死後、墓地から頭蓋骨を持ち出し、詩を捧げたと伝えられています。
ー生涯ー
- ドイツ南西部ヴュルテンベルク公国の小さな田舎町マールバッハに生まれる。
- 聖職者を目指していたが、優秀な若者を集めていた領主カール・オイゲン公の命令で軍人学校に入学。
- 18歳の頃、シェイクスピアやゲーテ「若きウェルテルの悩み」に影響を受け、初作品「群盗」の執筆を始める。
- 1781年12月、匿名で発表した「群盗」は1か月後にマンハイム国民劇場で初演される。公演は大成功し、昂奮した女性客が失神し倒れてしまうほどだったという。しかし、文芸活動がオイゲン公に発覚し、14日間の禁固刑と劇作活動禁止を命じられ、シュトゥットガルトで軍医として従事することになる。
- 1782年9月22日深夜、友人と脱走しマンハイム、フランクフルト、オッガースイム、バウエルバッハと転々とし、1783年にマンハイムで劇場詩人となるが「ドン・カルロス」の執筆が進まず解雇。
- 1785年、かつて劇場に届いていたファンレターの主・ケルナーに金銭援助を頼む手紙を送り、ファンサークルのメンバーが住むライプツィヒで援助を受けて暮らすようになる。その時の感動を元に「歓喜の歌」を作詩し、後に交響曲第9番の歌詞となる。
- 1788年にルードシュタットでゲーテと面会。ゲーテの推薦で翌年にイェーナ大学の歴史学教授となる。
- 1790年、30歳で結婚するが、翌年に病に倒れる。シンメルマン公爵らからの支援金で生活しつつ、カント哲学の研究に没頭する。
- 1792年、「群盗」が評価されフランス革命名誉市民に一方的に選出される。
- 1794年7月、イェーナで開催された植物学会でゲーテと再会し、「原植物論」で意気投合。ゲーテの住むヴァイマルに移住し共同活動を始め、新古典主義(ヴァイマル古典主義)を完成させる。
- その後、歴史劇を数多く創作。
- 1805年5月9日死去(享年46歳)
ー代表作ー
1781年「群盗」1783年「フィエスコの反乱」
1784年「たくらみと恋」
1787年「ドン・カルロス」
1799年「ヴァレンシュタイン三部作」
1803年「オルレアンの少女」
1804年「メッシーナの花嫁」
1804年「ヴィルヘルム・テル」
未完「デメートリウス」
カント哲学
ドイツの哲学者で近代哲学の祖イマヌエル・カント(1724年~1804年)が提唱した哲学を指します。
カントはまじめな性格で時間にとても正確かつ、情熱的で生き生きとした社交的な人物だったようです。
三つの出版本、「純粋理性批判」「実践理性批判」「判断力批判」は『三批判書』と呼ばれ、何を知ることが出来るのかについて書かれています。
当時の認識論は、経験主義と合理主義に分かれていました。
- 経験主義とは、目の前の物体を五感(眼、耳、舌、鼻、肌)で体験するから認識できるという考え方です。
- 合理主義とは、人間は持って生まれた知性により、見たことのないモノも想像できるとするものです。
私たちは経験上、この世界が存在していることを実感していますが、それだけでは世界が存在する証拠にはなりません。
しかし論理だけでも不十分です。
そこでカントは価値観を180度転換して、この二つの考え方を矛盾なく統合することに成功しました。
ちなみに、批判とは『改めて吟味する』という意味です。
「純粋理性批判」(1781年)
正しい認識とは何か
どうすれば正しい認識を得られるのか
『五感』で得たデータに該当するものを、『悟性』が記憶から検索し、『理性』が最終判断しているとカントは説きます。
五感と悟性が『経験』を扱い、理性が『思考』を扱います。
つまり理性とは推理力のことで、それによって真理に辿り着けるのです。
それは、この世界には相反する二つのものが同時に対等に存在するということを認めることでもあります。
対立するもの同士、どちらも等しく価値がある。
それがこの世界なのです。
「実践理性批判」(1788年)
道徳とは何か
道徳を『格率』と『実践的法則』に分けて論じています。
個人のルール(=価値観)と皆のルールについてとも言えます。
本人が美徳と思い、かつ社会が美徳としているものが善というもので、何をすべきか・しないべきかを判断する『自由意志』こそが最も大切。
結果が良ければよい、思いがあるからよいという価値観ではいけないと書かれています。
「判断力批判」(1790年)
美とは何か
喜びとは何か
私たちは主観的に美しさを判断しています。
それが何かしら自分の目的と一致すると喜びを感じます。
だからこそ感情とは自己中心的なもので、理性というブレーキが必要だと述べています。
カントの考えそのすべてが現代でも支持されているわけではありませんが、とても深い考察でたった一人で書き上げた事実はまさに偉業です。